49.ニューノーマル 時代に生かす。東日本大震災直後の広告実態~目の当たりにしたマーケターの告白
元広告代理店勤務のmiyukiです。
↑ここです。
#新型コロナ #ニューノーマルマーケティング #非常事態時のマーケティング
#東日本大震災を忘れない
前回ニューノーマル時代のマーケティングについて書いた際に
東日本大震災後の広告について触れましたのであの当時の広告実態を書きます。
311あの日
東日本大震災
2011年(平成23年)3月11日に発生した東北地方太平洋沖地震による災害およびこれに伴う福島第一原子力発電所事故による災害である。
Wikipediaより
地震の被害者・亡くなられた方、津波による被害者・亡くなられた方が多くいらっしゃいました。これに加え福一(福島第一原子力発電所)の放射能漏れにより住んでいるところから
余儀なく非難された方多数おられます。
地震発生、津波発生時、私はたまたま会社で一人留守番のような(会社番)を
しながら仕事していました。
揺れましたがビルが頑丈で高層ではないため、書棚が倒れる、蛍光灯がおちるなどの
被害はまったくなく、また自家発電があったため3時間ほどは普通に業務が
できるような状態でした。(1時間程度は電話はつながりました)
ビル管理者の人が「被害ありませんか?けがありませんか?」と巡回にきて
初めて被害の大きさを実感し、まどから外をみると
街中、車、人、倒壊した家屋、水で大氾濫でした。
各方面に無事と今後の業務連絡と確認をしたあと帰宅し
しばらく電気もガスも水道も使えない日々がつづきました。
その後の状態
311から1週間ごとの経過を書いていきます。
■1週間経過
会社も電気や電話復旧し、業務につき
各仕入先、クライアントへお見舞いと現状把握のお電話をしました。
クライアント先は海沿いの数社を除き、なんとか事業を再開の目途がつくと仰せ。
取引先の印刷会社は津波を免れたのですが、製紙工場が壊滅でした。
電波媒体も(テレビラジオなど)被害はなく、しかし連日の被災者向けと
震災後の報道で常に社は空っぽ状態。
■2週間経過
いまだ広告(ちらしなど)につかう製紙工場は再開の目途がたちません。
印刷会社が保有している紙がわずかあるため1か月~3か月くらいの(年計画分)
印刷は賄えますがそれから先となると供給先を探さねばならず、
印刷会社に全国の紙工場にあたってもらいました。
震災直後に広告の心配をするなんて!とお思いでしょうが、
お店はお客様へ
「震災があっても商品はありますよ!お店は開いてますよ!お困りの方はぜひ」を
広く告げる必要があるのです。
企業の義務でもあります。
紙媒体がだめならテレビ、ネット、という方もいるかもしれません。
当時電気も通じていないエリアもありテレビは得策ではなく、
ネット広告ももちろん主流でしたが当時はまだ今ほど
身近でありませんでした。
それ以上に電気の供給が不十分なため、ちらしやDMはもってこいの手法です。
■3~4週間経過
まだまだ電気は普及していないエリアがあります。
水もでないところもあります。
ガスは使えました。
中心部はだいぶ生活できるくらいになっており物流も流れ始めてます。
ただ、幹部と私はどうしても外せない海外出張があり
クライアントを残し旅立たなければなりません。
残っているスタッフにクライアントを託し、
幹部と私は成田から飛び立ちました。
1か月後の戦略
海外へ飛び立つ前に前回の記事にもでてきた百貨店の社長と
打合せをし、広くお困りのお客様へ
1.お店が営業していること
2.こんな商品が在庫があること
をお知らせしましょうということになり
ちらしを制作印刷し、折り込みました。
コンセプトはお客様のお困りごと解決と応援。
震災直後壊れたシャッターを押し上げて買いにこられた
お客様がいたのは事実です。
まだまだお困りの方はぜったいいらっしゃるはずだ!
お店としても日頃ご愛顧いただいている地域の皆様へ
感謝とお手伝いをしたい。
あのシャッターを押し上げて買いにきていただいた方々は
毛布がほしいと訴えました。
電気も復旧しないので暖をとる方法を被災者の方は探しておられた。
3月は時期的にマーケティングとしては
冬物を売り払い在庫をなくし、夏に向けた商品を多めに仕入れる時期で
毛布の在庫はほとんどありませんでした。
社長は自らも被災者にもかかわらず、全国の取引先へ
毛布調達に奔走しました。
そしてホッカイロやアウトドア用アルミシートなども。
とにかく電気と石油を使わずとも暖の取れるものを
片っ端から集め始めました。
少しづつ全国の業者の善意で毛布やホッカイロが届きはじめ
まだ電気が復旧していないうす暗い店頭に並べられるとかたっぱしから
売れていきます。
毛布などの流通経路も整備し(今までの運送業者に無理をいい抱き合わせで運んでもらう手はずを整え)地域のお困りの皆様へお譲りし、
車のない方へバスの時刻表やもよりのバス停の案内を店頭およびHPに掲載し、
全国の取引先へ頭を下げて商品を分けてもらっていました。
そんな社長のところへ
避難所におられる方の毛布が足りないので分けてもらえないかと
市から要請が来ました。
地域の皆様がお困りならばと
さらに取引先へ頭を下げてあと100枚なんとか調達し
避難所へ寄付としました。
市からは市のHPや避難所へ貴社名を掲げたい、メディアにも
露出したいとの申し出がありましたがお断りしました。
なぜならば、地域の皆様への日頃の感謝を形にしたまでで
自社(老舗)の歴史の礎でもあるからです。
話は飛びますが、
このお店の初代店主は(現社長の父上)もともと家具をつくる
職人でした。
ある日、近所の人からオーダーメイドの家具を依頼されました。
その評判が評判をよび、注文が殺到します。
殺到しすぎて、だんだんオーダーメイドつくりが難しくなります。
そこで大量生産型に切り替え、既製品の箪笥をつくりまして
今まで自分がつくったオーダーメイドの修復のみ請け負うことにします。
ところがもともと家族経営の家具職人です。
売子や店子なんていません。
そこで近所の電柱に箪笥に値札を張り付け
ほしい人はお金はこの店に支払って自分で箪笥をもっていってくださいと
広告し売り始めました。
なかにはお金も払わずもっていった人もいるようですが、
町内の皆様のためならばと目をつぶっていたそうです。
そこから大きくなったのがいまの百貨店です。
その精神が寄付をメディアに載せたくないという気持ちにさせたと現社長は
のちに教えてくださいました。
話は戻りまして
震災後一か月、お困りの皆様への応援としまして
ちらしタイトルは
「復興応援!!」としました。
未曾有の事態でこの広告タイトルは吉とでるか凶と出るか大勝負でした。
弊社内でも相当議論しましたが答えが出ず。
だって誰も経験したことのない状況でしたから。
私としても
マーケター人生初の賭けでした。
このちらしを打ち、私は海外へ。
こればかりは以前からの計画で日本が震災だからとて流されない仕事でしたので
断腸の思いで日本を出国。
緊急事態発生!!
海外で長めの昼会食兼ミーティングをして部屋に戻ると件の百貨店社長より電話がありました。
とても動揺した声色で
社長
「クレームが・・・・クレーム。
例のチラシあるだろ?あれにガンガン怒鳴り込んできたお客様が(年配の男性)いて
ちゃんと真摯にご説明して
復興応援とした意図を話したら納得して帰られたけど、
常日頃教えてくれてるマーケティング的にいうと
一人のクレームのうしろには10人のクレーム客がいるということ、それ、
それをどう対処したらいいものか、相談。
店頭に復興応援の意味を張り出していいものかね?」
私
「その年配のお客様は復興応援のなににお怒りで?」
社長
「まだ、あちこちで電気も復旧せず、水も飲めずの人がたくさんいるのに
復興応援とは何事だ!まだなにも復興に向けた準備も心構えもしてねーだろ!と
言っていた」
「だけど、お客様の中には、先行き不安な日々を過ごしてる中で応援します!といい
お店も損害受けているのにスタッフの皆さんも被災しているのに営業してくれて
助かるありがとうといってくれる人もいるから複雑なんだ」
私
「企業としては世の中への義務を果たしているので安心してください。
ですがやはり、未曾有の事態、一部のお客様はナーバスになっているのはその通りです。
店頭へ説明の文章をつくり日本にいるスタッグがお持ちします。その文章でよければ
弊社で印字して掲載できるようにたいしますので夕方までお待ちください。」
社長
「だよね、いや、安心したよ。我々のやってることは間違っていないよね。
いや、電話してよかった、相談してよかったよ。ありがとう」
私はこれをすぐ上司に相談し、草案をつくり日本にいる弊社コピーライターへお願いし
スタッフにお店へもっていってもらい、すぐOKがでたのでそのまま店頭へ。
上司曰く、誰も経験したことがなく企業や広告業界はみんな手探りだ。
今回のように1つ1つお客様の声を拾い上げて間違いは間違いとして
訂正し、あるいは正義は正義として何を言われても貫き1つ1つ乗り越えていくしかない。
今回は百貨店社長から我々も教わったのがたくさんある。
またお客様から教わったこともたくさんある。
私も上司の言葉に共感しました。
広告の答えはどこにもありません。
戦略はあっていたのか?!
その後、1週間はどこの企業もちらしは打ちませんでした。
2か月~3か月たったころに、ようやく「復興応援セール」と題した
売り出しを各企業が始めました。
とある大手車メーカーの支社部長と打合せの際に
「復興応援」のセールは早すぎたのでは?と言われました。
支社部長:ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー
しかし、弊社のような全国規模の大手はできない戦略だが
地域密着型だからこそできたのかもしれない。
弊社は影響力が大きい故に保守的な立ち居振る舞いをするときが多々ある。
でも、地域密着型は義理人情に訴え「打って出る」こともできる。
ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー
たしかに上記のように部長の仰せの通りで、
地域密着型は近隣の方を巻きこみ味方につけられれば
大きなバックアップとなる。
今回の戦略は、ちらしタイトルが1週間ほど先走りすぎた感が否めませんが
セール自体はまちがっておらず、地域の皆様へお困りごと解決特集としては
的を射た戦略だったと思います。
現に百貨店の売り上げは上々のようで
さらに店頭に掲げた説明文もお店としてのスタンスに共鳴してくださる方もいて
高価な寝具も売れに売れたようでした。
お店のスタッフも自宅が電気、水道が不通でも販売に貢献してくださり
感謝です。
非常事態時の戦略考察
311を通してわかった広告(セール)戦略まとめです。
■震災後1~2か月は被災者の精神的負担が大きいため露出する言葉は慎重に。
■震災直後から生活や生命維持のための商品は売れるのでお店が壊滅でも
「商品にできるもの」がある限りお店の体をなしてなくてもお譲りする。
■自ら店先にたち、お客様がいまなにを欲しているのか吸い上げる、
商店を経営している以上、人命のつぎに売上を最優先に。
■営業しているのか閉店しているのか、どのような商品が現在あるのかを消費者へお知らせする。
■震災後3か月過ぎからあらゆる業種が「復興応援」を掲げセールするようになった。
■半年経過程度までのセールには必ず、被災者へ向けたお見舞いの言葉を掲載(全企業)していた。
■震災時に重要なことは仕入先と今後仕入れ。そのために日頃から仕入先とは
有効関係を保つ。
■企業母体の大きさに関係なく納入期限を守る、支払い期日を守るなどちゃんとした取引先を見極める。
■可能ならばリスクヘッジを考慮し、1社占有でなく数社分散で契約、さらに
年契約をする。
■今までにないシステムならばいっきに変容し非常事態時の運用とする
■既存システムにこだわらない。ないなら作る。
■在庫にこだわらない
■だれも答えはわからない
特に重要なところは赤文字で書きました。
非常事態時は誰も答えはわからないのです。
経済学者もデータ分析学者もわかりません。
ただとても痛感したのは
■可能ならばリスクヘッジで、1社占有でなく数社分散で契約、さらに
年契約をする。
やはり企業対企業の契約ですから年契約すれば、最低その契約内は天災あれど
可能な限り対応をしてくれます。
今回の印刷会社がそうでした。
年契約でスケジュールをあらかじめ提示していたので
津波で紙工場が被災しても印刷会社がリスクマネジメントで
紙の在庫は別場所に保管してくれたおかげで百貨店のお知らせを印刷し
広告を打つことが可能でした。
件の大手車メーカー社は他の広告代理店数社と併用で弊社に出稿していましたので
(弊社としては年契約ではないため)
印刷会社にも紙在庫がありません。
ほかの広告代理店へちらし印刷要請したようですが、どこも紙がないとのことで
広告を打てません。
何度も紙手配を大手車メーカー社の支社部長より依頼されましたが
弊社としても年契約の企業が優先ですので(そのための年契約です)お断りしました。
どんなに大手車メーカーのご希望でも、単価上げる、お金を出すと仰せでも
守るべき企業をないがしろにしてまでも応ずることができません。
以上311におけるマーケティング戦略でした。
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